なにせ一昔前の時代
昭和が大好きなもので
そんなノスタルジックな気分を味わえる
「銭湯」 を愛してやみません

玉の湯
もちろんうちにはお風呂があります
でもたまーにあの銭湯独自のマイナスイオンな湯気の香りをかぎたくなり
夕暮れの夕焼けを浴びながらベスパを走らせる

私にとって銭湯は450円で楽しめる
昭和アトラクションみたいなものだ
銭湯ってのは現代の世の中で
もっとも数多く昭和の名残を残した空間だ
次々と廃湯が続いているが
それでも必ず自分の住んでいる街に存在する
無理やり増設されたサウナや新型の蛇口など
少なからず現代的なサービスに変更されてはいるが
古い体重計やケロリン使い込まれた下駄箱など
昔とほとんど変わらない銭湯の懐かしさがそこにある


江戸東京たてもの園に移築された子宝湯

鶴の湯
寒い冬の夜に
かじかみながら銭湯を目指す
下駄箱に靴を放り込み
木の番号札をポケットに押し込む
古い横開き扉をガラッと開き
番台のお婆さんに「こんばんは」と挨拶を交わしつつお金を渡す
適当なロッカーに衣服を脱ぎいれ
アルミでできたバンド付きの番号札を手首にくぐらせる
浴場の扉を開けると
モワッと銭湯独自の匂いが押し寄せてくる
熱いお湯にビクビクしながら少しづつ体を馴染ませ
「はぁ~」とか言いながら湯に浸かっていく
お湯に入りながら美しく描かれた「富士山」を眺め
今日一日を振り返る
ひとしきり銭湯のお湯を楽しんだ後に待つのは
お決まりの牛乳だ
今でも残る厚丸紙で封をされたガラス瓶の牛乳
木椅子に腰掛け
テーブルに置かれたレトロな徳用マッチで
タバコに火を点し至福の一服
今ではタバコは辞めてしまったが
銭湯上がりの一服がもっともおいしかった
湯冷めしないうちに
「おやすみなさい」とまた挨拶をかわし
家路につく

天徳湯

子宝湯

元の湯
さて銭湯と切っては切れない関係にあるのが
浴場に描かれた
大きなペンキ絵
「富士山」だ
どこの銭湯に行っても
必ず壮大に描かれている

その隅に製作年度と
「早川」と描かれたサインが入っている
日付は結構最近
頻繁に書きかえれらているようだ
私が住む武蔵野地域はほとんど
早川とサインが入った富士のペンキ絵ばかりだ

銭湯の富士山には
専門のペンキ絵師が存在する
そもそもペンキ絵の発祥は大正元年の現在の千代田区にあった
「キカイ湯」の当時のご主人東由松さんが、お客で来る子供達に喜んでもらうように
ということから、画家の川越広四郎に依頼して絵を描いたのがその発祥だそうです
最盛期の昭和30年代
当時、数十人いた絵師は減っていき
現在東京に残る絵師は
丸山清人さん
主な担当は杉並区、大田区、三多摩地区、千葉県、神奈川県など
早川利光さん
主な担当は台東区、荒川区、足立区、文京区、武蔵野市、千葉県、埼玉県など
中島盛夫さん
主な担当は目黒区、品川区、世田谷区、北区、三多摩地区、神奈川県、千葉県、埼玉県など
の三人
それぞれの絵師は地域が異なって受け持ちがあります
この為
私が見る銭湯の富士山のほとんどは
「早川」とサインのある武蔵野地域担当の
早川利光の富士山ばかりだったのです
早川さんの富士山を見ながら
のんびりと湯に浸かる銭湯という名の極楽

と先日
mixiの銭湯コミュニティーより
突然の訃報が飛び込んできた
訃報:早川利光師
3人の最後のペンキ絵師の一人
早川利光さんが昨日亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
とある
なんと私がよく見る富士山を描く
早川利光さんが亡くなられたとのこと
なんとも廃湯でトピが上がるより悲しい出来事である

早川利光さん
心より、ご冥福をお祈り申上げます

いつまで見ることができるかわからない
もう一つの富士
銭湯に描かれた富士山
もっとも身近にある富士山を見に
みなさんも銭湯へ行きませんか?
一部の文章と画像を拝借したことをお許し下さいませ
テーマ:**暮らしを楽しむ** - ジャンル:ライフ
- 2009/04/17(金) 08:16:27|
- 銭湯
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| コメント:2
集団で一つのお風呂に入る
日本独自の文化ですね
お湯の効能はおいといて
銭湯はあの湯気の匂いをかいだだけで
なんだか癒されてしまいます
熱っっついお湯ですっかり茹で上がり
牛乳片手に休憩室でダラーンとしてる時がとっても幸せです
この日本の貴重な文化、コミュニケーションの場が
減っていくのは悲しい・・・
是非ベスパに乗って銭湯へ!w
- 2009/04/29(水) 11:28:51 |
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- RYUJI #mQop/nM.
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